言葉ができることの意義を感じた話。
中国の南部、福建省アモイに出張。
いつもは基本的に社員が同行するが、
今回は表には出せない案件だったので、
中国人企業とサシで商談した。
予定より商談が早く済み、
週末に時間が空いた。
一人で自由な空気を吸いたい気分に駆られる。
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小さな地元旅行社をぶらっと訪ねた。
アモイからそう遠くないところ(片道200km)に、
世界遺産の客家土楼群がある。
ここに行ってみよう。
現地の日帰りツアーバスに飛び乗った。
土楼は、客家の人たちが外部侵入を防ぎつつ、
機能的な集団生活を送るために考案された伝統建築。
最大の土楼には現在でも80世帯の氏族が生活を送っている。


建築物自体も興味はあったが、
むしろ、そこでリアルに生きている人たちが、
実際にどんな生活をしているのか、
それを肌身で感じてみたかった。
世界遺産だけあり、周辺には多くの観光客で溢れていたが、
観光客が立ち入り禁止されている住民区にスゥ~と入る。

日陰で孫の遊び相手しているおじいちゃん。
洗濯物を干しているお婆ちゃん。
かくれんんぼをしている子供たち。
どこにでもある普通の田舎の生活感が心地良い。
茶店に入り、お茶をご馳走になる。
店主と話していると、「この日本人、中国語ができるぞ」と、
隣近所の人たちも寄ってくる。

地元の中国茶と茶菓子を頂きながら、
笑顔に包まれた、よもやま話で時間が過ぎる。
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人の幸福感は、人との繋がりによって生まれる、
って何かの本に書いていたけど、その通りだなと。
多少なりとも言葉ができることで、
繋がらなかったであろう人たちと、
繋がることができ、幸福感を得られる。
たとえ、ひと時の瞬間であったとしても。
言葉ができて良かったと、しみじみ。
夏の終わりのアモイにて。